通信簿
学生の頃は長期休暇の前に、通信簿と言う、自分のことを評価された冊子を渡されますよね。
小学生の頃、私がもらっていたのは三段階評価の通信簿でした。
あまり勉強が好きではなかったので、正直いい成績は残っていないのですが、通信簿を配られる瞬間と言うのは何だかウキウキ、ソワソワするものでした。
そんな期待も通信簿を開く時までで、一通り眺めた後には、ガックリと肩を落としていました。
今回は頑張ったからなぁと思っていても、先生の評価は辛口です。
大抵、アヒルの行列が出来ているような成績表でしたね。
そして、悲しいことに1と言う悲しい数字もちらほら目にしました。
しかし私の両親は、そんな出来の悪い私にガミガミと言うことはありませんでした。
ただ、成績があまりにも落ちていた部分に関しては「これはもうちょっと頑張ってね。」と、やんわりと言われたように記憶しているのですが。
きっと我が家はそう言った教育方針だったのでしょうね。
落ち込みやすい私の性格上、とてもありがたい家庭環境だったのだなぁと今更ながら、思います。
こうしてみると通信簿と言うものは、ハッキリと目に見える形で人に評価される、貴重なデータツールだと言えるのではないでしょうか。
良い所はそのままに、悪い所は次に頑張る目安になりますものね。
社会人になると、なかなか人に評価される機会が無いように感じますし、学生時代の通信簿と言うのは自分を省みることの出来る、希少な冊子だったのだと感じています。
猫に囲まれて暮らしていた尊敬する先輩
姉御肌と言ったら、真っ先に頭に浮かぶ幼馴染がいます。
二つ年上の彼女は、肩で風を切って歩くと言ったらおかしいですが、いつも先頭に立ってガンガン進んで行くような人でした。
優秀で、通信簿はいつもオール5。
スポーツも得意で、面倒見の良い人でした。
出来ない事等何もないような女性。
そんな尊敬する人でした。
家が近いこともあり、私はよく彼女の家に遊びに行ったものです。
すると、いつも気持ち良く迎えてくれます。
迎えてくれるのは彼女だけではありません。
多数の猫ちゃんたちも一緒にお出迎えしてくれました。
そう、彼女は大変な猫好き。
本当に猫に囲まれて暮らしているような人でした。
一人暮らしをするようになってからも、彼女はたくさん猫を飼っていました。
猫たちも彼女の事が好きなようです。
それは、見ていればすぐに分かることでした。
あれから20年以上経つ今、もう会うことも無くなりました。
何処に住んでいるのかも分かりません。
風のウワサで、結婚してお子さんもいると聞きましたが、実際のところは分かりません。
今もあの頃のように、猫ちゃんに囲まれている暮らしをしているのでしょうか。
時々、道端で猫を目にすると、彼女のことを思い出すのです。
気が強いがために、誤解されることも多かった人。
そして、誰よりも努力家で言い訳をしない人。
いつも傷付いた私を気持ち良く迎えてくれた人。
もしかしたら、誰にも言えない傷を猫たちに慰められていたのかもしれません。
何処にいても良いから、元気で幸せに暮らしていることを祈っています。