コミュニケーションの取り方の違い

夫からしてみると、私の話し方はイライラするそうだ。
「で、結局何が言いたいの?」「俺にどうして欲しいわけ?」と言われる。
夫からすると会話というものは用件を伝えるもので、理論立てて話し、要点を言うべきもの。
自分に何を求めているのか端的に話してほしいのだという。

だらだらと話すことが時間の無駄だと思っているのだ。
しかし私にとっては会話することそのものが夫婦のコミュニケーションの時間なのである。
顔を合わせて、取りとめのないことを話したり、その日あったことを報告する、それがとても大切だと思う。
また、嫌なことがあったり、逆にとても嬉しいことがあったら、人は誰かに話を聞いてもらいたいと思うものではないだろうか。
特に役立つようなアドバイスがなくても、話を聞いてもらえるだけで幾分すっきりするものなのだ。
もし要点を端的に伝えるだけの会話だったら、そんなものロボットと話をするようなものだと思う。
もしくはパソコンで報告書を作っているようなものじゃないだろうか。
そんな夫だから、会話はあまり弾まない。
それ以外はずっと携帯ゲームをしているものだから、部屋はだいたいいつも静かだ。
夫が言うことがわからないわけではない。
理論も確かに必要だ。
特に人に何かを説明するときは、ただだらだらと話しているだけでは伝わりづらい。
聞いている相手はただ困惑するだけだろう。
とりわけ仕事の際は理論立てて話すことが必要だと思う。
でも、プライベートでも理論を重視して話すなんて疲れてしまわないだろうか。
少なくとも私は疲れてしまう。
理論も良いけれど、ただ馬鹿話をして笑いあうのもとても良いと思うのだ。

異文化コミュニケーション

我々日本人は現在、一体何人いるのかご存じだろうか。2012年時点で1.276億である。
出会いは一期一会というが、この数を見ればそれが文字通りであるということが分かるだろう。ぜひ、人生一度の出会いを大切にしたいものである。

私は私立大学に所属している。文系・理系が混ざり合う大学である。自分は理系なのであまり異文化交流は興味がなかったが、とある出来事がきっかけで考えが変わった。
大学構内のベンチに座っていると、香港の学生にナンパされたのである(ちなみに私も相手も女性)。今度ホームパーティーをするからぜひ来てくれという誘いであった。
彼女は英語が喋れるが、私は日本語と阿波弁しか喋ることができない。どういう風にコミュニケーションを取ればいいのか全く分からなかった。しかしラッキーなことに、そのホームパーティーに参加する方たちの中に、英語が喋れる日本人の方がいたため、なんとか約束をつけてホームパーティーに参加することができた。
ホームパーティーでは日本人の方とばっかり喋ったが、その香港の方とも、下手な英語で少し喋った。訳も分からずとにかく笑って誤魔化すようなコミュニケーションだったが、緊張してドキドキしたし通じ合った気がしてワクワクもした。そこで食べた餃子はとてもおいしかったことを覚えている。
その方とはそれっきりで、今では全く連絡を取っていない。勉強やバイトに明け暮れる日々である。
だがしかし、そんなやる気溢れる香港の方の人生に、少しでも関われたことが嬉しく思う。

«
»