書道教室

小学生の頃は色々な習い事をさせてもらっていました。
ピアノや学習塾、水泳に習字など、曜日ごとに違った習い事をしていましたね。

何事も長続きしない私ではありますが、特に気に入っていたのが週に一度の習字の教室でした。
元々、祖父から通うように言われたと記憶していますが、級や段が上がっていくうちに、字を書くのが楽しくなっていったのでしょうね。
サボり魔の私には珍しく、六年生になるまできちんと通っていました。
もちろん、上手く書けない日も当然ありました。
そんな日はなかなか思い通りに筆が進まず、何度書いても先生にダメ出しをされ、教室で半べそをかきながら筆を動かしていたのを覚えています。
上手く書けない悔しさから、家に着いた途端に布団を被ってシクシク泣いたことも何度かありました。
しかし、こんな私でも継続して通えていたと言うことは、それだけ書道が好きだったのでしょう。
級や段が上がっていく達成感や、賞をいただけた時の嬉しさは何とも言えないものがありましたし、長く書道をしているうちに、自分の使っている書道道具に愛着が湧いていました。
その時の書道の先生に、道具の使い方を教えてもらっていなければ、全く使われることがない道具もあったかもしれません。
そんな些細なことの一つ一つが大切に思えるほど、私にとって書道と言う習い事の時間はかけがえのないものだったのでしょうね。
小学校を卒業すると同時に辞めてしまった習字ですが、今更ながら辞めずに続けていればよかった、と悔やんでも悔やみきれない思いでいます。
今は習い事から離れ、日々を過ごしているのですが、ふと書道をしたいなと言う思いに駆られることがあります。

チームワークとパフォーマンス書道

大きな紙に大きな筆を使って文字を書くパフォーマンス書道が、高校生の間で部活動として行われ、人気を集めています。
「パフォーマンス書道甲子園」も毎年開催されているほどです。

枠に捉われず、はつらつと大きな紙の上に文字を書いていく様も、完成した書も、迫力満点で、若さあふれる高校生らしい作品ばかりが見られます。
一枚の書を、数人のチームで書き上げるのですから、チームワークも大切です。

自分たちが書を通して伝えたいメッセージに合わせて、その表現法も様々。
墨の色も黒に限られていませんし、文字の大きさも、字の勢いも巧みに操ります。

音楽に合わせて書くこともありますから、「パフォーマンス」と呼ぶにふさわしく、見ている方も楽しくなる書道です。
ただ、なぜ書道にパフォーマンスが必要なのかという素朴な疑問は湧き出てきますが、マイナーな文化部の起死回生の人気採りのために考案されたのかもしれないですね。

まあ、書道たるものは、などという定義付けは全く意味のないことですし、そこで何を学ぶのかが大切なのでしょう。
が、書道甲子園は、果たして就職等においては、どの程度の評価になるのでしょう。
ここが小さな枠に囚われる日本人の弱点なのでしょうね。

世界で発表したという実績があるのなら、それはそれで語学も学んだのではないかという推測も出来ますが、ただ、出場して優勝しました、ということであれば感心されて終わりでしょう。

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